どうも、ニートのにゃかです。
今回は僕がなぜニートになったのか、ここまでの経緯を書こうと思います。
もともとテレビ業界で働いていた
将来の夢など特になかった学生時代、なんとなく楽しそうで給料が高そうというだけの理由でテレビの世界で働くことを決めました。
しかし現実は激務の割りに給料が低く、時給に換算すると500円を下回る月もたくさんありました。理不尽なことも多くありましたが楽しいことも多くなんだかんだ数年は働きました。
新卒からずっとバラエティ番組を担当していたのですが、いろいろな事情があり報道番組に移ることになりました。
ニュースに全く興味のなかった僕はやる気も出ませんでしたし、理不尽な仕打ちに耐えるのが馬鹿らしくなりすぐに辞めることを決意しました。
またバラエティ番組のスタッフとして働くことも考えましたが、当時からネットの勢いに押され制作費がどんどん削られていた業界に残るよりも、なにか新しいことに挑戦してみたいと思い辞めることにしました。
ニート、海外へ
次の予定も決めないまま辞めた僕はここで初めてニートになります。激務から解放され数年ぶりの自由を満喫しましたがそれにもすぐ飽きてしまいました。
仕事で忙しかった時はいろいろとやりたいことがあったのですが、いざニートになると動くのがめんどくさくなり明日やろう明日やろうと毎日なにもせずダラダラと過ごす日が増えていきました。
それを見かねた友達からワーホリを勧められ、なんとなく楽しそうだし英語が日本での職探しに使えるかなと考えた僕は「I,My,Me」すらよくわからないまま勢いだけで海外に行ってきました。
海外でのフリーター生活を満喫
語学学校で英語を勉強した後はそれなりの英語力でしたが、運よくネイティブの人たちと働けることになりました。
海外での仕事は言葉の壁こそ感じることはありましたが、日本のような堅苦しさやサービス残業が一切なく快適でしたし、のんびりとした生活にも癒されていました。
ビザが切れるころには日本ではもう働きたくない、どこかの国に移民したいと思い始めていました。
日本に一時帰国した後も次の国へ向かうためビザの申請や渡航準備をどんどん進めていました。
一時帰国中に舌がんが見つかる
帰国前から舌の淵にこすれるような痛みをたまに感じていましたが、痛みは強くなく次第に治まていたので放置していました。
しかし、帰国後しばらくして歯みがきをした際はきだした歯みがき粉が血で赤くなっていました。口の中を調べてみると舌の裏に腫れがあり、一目見た瞬間にがんかもなと思いました。
翌日すぐに病院に行き検査のため入院することになり、後日やはりがんであるとの結果でしたので手術をすることになりました。
僕の場合、舌の右側にステージⅢのがんが見つかり右側から2/3を切除し、さらに首右側のリンパを3ヵ所、舌の切除した箇所に皮弁を移植するため右太ももの筋肉も30㎝ほど取ることになりました。
がんは手術後も5年間の定期検診が必要なため渡航のために進めていた手続きなどは全てキャンセルしました。
退院後、再びニートに
手術も無事おわりしばらくして退院することが出来ましたが、海外に行けなくなった不満と将来への不安で一日中考え事ばかりする日が続きました。
滑舌が悪いことが気になり今はまだ働く気にはなれないので、皮弁が落ち着くまでの1年間は貯金と保険金を使ってニート生活をしながら今後のことをのんびり考えようと思い再びニートになりました。
ニートからの脱出計画
貯金がどんどん減っていく生活に少し焦りを感じた僕は、このニート期間中になにか出来ることはないかと考え、前から少し興味のあったブログを始めることにしました。
ブログは資産という言葉を聞いたことがあり、1年後にブログだけで生活は出来なかったとしても生活の足しになるくらいの収入があればいいなと思い立ったからです。
今はまだ書いた記事も少なくブログでの収入もゼロですが、ブログを書くことは意外にも楽しく、今後収入が発生するかもしれないという期待は僕の将来への不安を減らしてくれています。
もうすこし体が落ち着いてきたら食べ歩きやスポーツも初めて、舌が半分以上なくても食べられる、足の筋肉が切除されていても動けるということを、同じく舌がんで不安を抱える人たちを中心に伝えられればと思います。
他にも自宅療養中でも可能な副業にも挑戦し、それを記事にする予定です。
いつかニートではなくブロガーですと名乗れる日がくればいいなと思いつつ日々ブログを更新しています。
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